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2010年12月5日日曜日

4月5日(月) 25日目 ~日記より~

 夕べ、夜半から雨が降り出し、今日も一日雨らしい。夕べは9時の就寝時間から、夜中の2時頃まで、昔のことを思い出していたら眠れなくなり、やっとウトウトしてきたと思ったら、朝方だろうかやたらと騒ぐ新人が入ってきて、何人かの警察官にいさめられ、ガチャガチャと音をたてながら隣の7号居室に入ってきた。7号居室は他の房と遮断されていて、顔が見えないようになっている。どうやら未成年らしい。
 あまり眠れなかったせいか、少し頭が重い。
 年度が切り替わって最初の月曜日で、警察署内も忙しいらしく、いつもは朝食後早めの運動時間(たばこの時間)になるのだが、9時半になっても始まらず、10時過ぎにやっと運動時間になった。
 たばこを吸いながら、4号居室の人に声をかけられたので話をした。俺が入る前からここに居るらしいのはわかっていたが、「どれくらいになるんですか?」と訊ねると8ヶ月だという。去年の7月にここに来たというのだ。どうりで看守とも随分気さくに話をしているわけだ。ここでは一番の古株らしい。ここの貸し出しの本も、ほとんど読んでしまったとの事。
 先週中に、弁護士に依頼するための書類は提出しておいたのだが、先生はまだ来ない。今日、正式に選任して、すぐに保釈請求をお願いしたいのだが、妻の方で何か問題があったのだろうか。弁護士との契約は、妻がすることになり、その時点で着手金の半金、315000円を支払わなければならない。先週木曜日の妻との面会で了解をとり、お金はHさんが用立ててくれることになっている筈だ。
 Hさんには本当に申し訳なく、ありがたく思っている。俺がこんな状態でも信じてくれて、費用まで用立ててくれる気持ちを考えると、本当にありがたくて、ありがたくて涙が出る。このお金がなければ、俺は多分ここを出られないまま裁判となり、判決によっては一度も家に帰れずに、拘置所送りになるかもしれないのだ。ここを出たら一番に会って謝って、心からお礼を言いたい。 
 ここに居ると、ただ待つしかないのでどうにもならないのだが、いろいろと余計なことまで考えてしまい気が滅入る。先生とは今後のことをいろいろ相談しなければならない。弁護士との契約や、保釈金の融資申し込みの書類作成などといろいろあるので、妻も手こずっているのかもしれない。何しろ彼女一人で全て動いてくれているのだから、やきもきせずに、じっと待っているしかない。
 
 夕べ寝付けなかったのは、前の妻や娘たちとの生活を思い出してしまったからだ。親父の会社の資金繰りのために、前妻の実家に100万の借金を申し込んで土下座した時のこと。その後、前妻と娘たちは、金を貸す代わりに実家で預かるという、義父の要望で別居することとなり、毎週末は俺が妻の実家に行って、子供たちと過ごした日のこと。その後一年たって、やっと家族で雇用促進住宅に住み始めた時、みんなで抱き合って喜んだ時のこと。妻がいきなりリスザルを買ってきて、「モモ」と名づけ、なかなかなつかなかったこと。モモに噛まれながら、娘たちも必死に手名付けようとしている時期に、次女が高熱をだし、もしかしてこれはサルから人に感染してほぼ死に至る、エボラ出血熱ではないかと案じて、とりつく島もないほど妻が狼狽し、泣きわめいた時のこと。結局ただの風邪だとわかり、今度は妻が気が抜けて高熱を出した時のこと。夏休みにキャンピングトレーラーを引っ張り、家族とモモを連れて北海道旅行に行き、そこでもキャンプ場で妻が熱を出して薬を飲んでも下がらず、妻とモモをトレーラーにのこして、娘たちと「北の国から」のロケ現場を見に生き、最後の日に片田舎の寂れた病院に寄って、妻が点滴を打ってもらった時のこと。俺がロサンゼルスから帰ってきて、お土産の仮装パーティー用のドレスを娘たちが着て、はしゃいでいた時のこと.....。走馬燈のように次々と思い出して眠れなくなってしまった。
 一昨日から昨日にかけて、弁護士に渡すために便せん16枚もの身上書を書いているうち、昔のことを思い出してしまったようだ。
 長女はこの4月で高校2年生、次女が中学3年生、三女が中学2年生になる筈だ。長女が小学1年生の時に別れたので、今年で丁度十年になる。
 どんな娘に育っているだろうか。今まであまり考えたことがなかったが、ここにはそんな事を考えるには、もて余すほどの時間があるせいで、つい考えてしてしまう。俺を恨んでいるだろうか。いつかまた会える日がくるのだろうか。
 昔、娘たち3人と一緒に唄った「元気になろう」は、携帯でいつでも聴けるようになっている。3人は俺の中であの時のまま変わっていない。あれから10年たってしまったが、大きくなった3人の姿は、とても想像できない。妻の実家で撮った3人の写真は、ずっと財布の中に大切にとってある。
 娘たちも、まさか俺がこんな場所にいることを、考えもしないだろう。
 俺のことを、時々は思い出してくれているだろうか。勝手なことだが、死ぬ前に一度だけでいい、会ってみたい。せめて写真でもいいから、成長した娘たちを見てみたい。
 44年の人生のなかで、いろいろあった。良いことも悪いこともいろいろあったし、これからも、まだまだいろいろなことがあるのだろう。この人生を愛し、いつくしみながら、かみしめながら、残りの人生を生きていきたい。 

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