<スポンサーサイト>

2010年12月8日水曜日

帰宅

 4月8日、午後5時の夕食の時間の直前に、看守から「面会だよ」と呼ばれ、私はやっと世田谷警察署留置場第6居室の檻を出ることができ、15番という呼称から自分の名前に戻ることができました。
 同居人のコロンビア人は、目を真っ赤に腫らしながら、便せんに何やら書いた物を手渡し、「ここを出られたら、きっと会いに行くよ。」と言ってくれました。しかし、パスポート偽造は本人も認めていることから、おそらく彼は起訴されて罰金刑で終わったとしても、強制送還はまぬがれず、その後も日本への入国は何年かは認められないでしょう。
 彼がくれた便せんには「Mi Dios Es GRANDE」(”私の神は偉大です”→意訳すると”God bless you” という意味でしょうか)と書かれていました。
 初めて入る、面会室の面会者側の部屋で、預けていた私物を全て返され、服を着替えました。いつも私に声をかけてくれる、背の低い早口でドモる看守さんが、「急いで、急いで、奥さん待ってるから、よかったな、よかったな、早くしろよ」と急かすので、ほどかれていた靴ひもを入れるのに余計時間がかかってしまい、とうとう諦めて靴ひもをいれずに部屋を出ました。
 留置事務室にいた、数人の看守さんに「お世話になりました」と頭を下げ、「よかったな、頑張れよ」と声をかけられながら、1階のロビーへ降りていきました。
 司法警察官で、最初に捕まった時の白バイのお巡りさんが見送ってくれ、「とりあえず、よかった。裁判の時は私も傍聴にいきますから、その時また会うと思うけど、なんとか会社を建て直して頑張ってください。」と、目を腫らして言ってくれました。私は、「ご迷惑をおかけしました、いろいろと心配していただき、ありがとうございました。」と頭を下げ、迎えにきてくれた妻と世田谷警察署の来たときとは違う正面玄関を出ました。
 駅まではそう遠い距離ではありませんでしたが、久しぶりに外に出たことと、ずっと歩いていなかったせいかフラフラするので、駅の近くの喫茶店に入り、1ヶ月ぶりに熱いコーヒーを飲みました。
 妻が「お疲れさまでした。」と言ってくれたとき、はじめて(やっと出られたんだ)という実感が湧いてきて、何故かボロボロと涙が止まらなくなり、他のお客にわからないように、下を向いて紙袋の荷物を探しているふりをしていました。
 家に帰ると、何も知らない子供たちが「お帰り!」と言って抱きついてきて、普段はしゃべることもコミュニケーションもなかなかとれない、自閉症の長男も私に近づいてきて、「アー、アー」と体を摺り寄せてきました。それはまるで「お帰りなさい」と言ってくれているようで、私は再び涙が止まらなくなってしまいました。
 
 翌日、会社に行ってみると、中にあった物は全て撤去されて、看板はまだかかったままでしたが、机もパソコンもテレビも来客用のソファーもなく、4台の電話だけが箱に入れられて置いてありました。わかっていたこととはいえ、体の力が一気に抜けてしまい、しばらく何もない事務所の中でへたり込んでしまいました。
 その頃私の会社は、5ヶ所の現場を抱えており、その内2ヶ所は外注さんに工事をお願いしていて、他の3ヶ所を自社で施工している状態でした。とにかく現場を仕上げるために、お客様と外注さんに頭を下げ、お客様には早急に工事を終わらせる約束をして、工事を再開することになりました。しかし、やはりその内2件は、契約を解除して欲しいとの申し出があり、既にいただいている契約金を返金しなければなりませんでしたが、私が居ない間に、そのお金も支払いにまわされており、どうにもならない状態でした。その後、自分の車や会社のトラックを売り払ったお金で、返金分の一部をお返しし、残りは待っていただくようにお願いして、なんとか承諾していただきました。
 現場のスタッフも、一人は辞めてしまいましたが、残った2名と私で工事を再開し、5月の判決の日の前日に、やっと仕上げることができました。
(つづく)

 

0 件のコメント:

コメントを投稿