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2010年12月18日土曜日

判決の日

 5月10日 月曜日。
 この日も公判の日と同じように、空はどんよりと曇っていましたが、もうすぐ来るだろう梅雨を思わせるような、空気がじめじめと肌にまとわりつく天気でした。私は午後2時10分の判決に間に合うように、11時半の電車に乗るため妻に駅まで送ってもらいました。
 弁護士には、当日になって裁判官の気が変わらないとも限らないので、出来るだけ大勢で来てもらうようにと言われていましたが、この時点で私も妻も弁護士の言葉をあてにはしていませんでしたし、少しでもショックが少ないように、最悪の状態になることを考えており、はじめから諦めていました。
 妻と話し合って、判決当日は一人で行くことに決めていました。
 前の日の夜、子供たちとお風呂に入ったとき小学校3年生の次男には、「明日からパパはまたしばらく仕事で家に帰れないから、ママとお兄ちゃんと妹を守ってくれよ。」と話し、次男は多少おちゃらけてはいましたが、「わかりました、お仕事頑張ってきてください。」と言ってくれ、いつの間にか少しずつ、たくましくなっている息子の成長を感じて目頭が熱くなりました。
 手の掛かる3人の子供たちの子育てと家事を、普段は気丈にこなし、涙など見せたことのなかった妻も、前の晩はベッドの中で声をあげて泣き、私は「本当にごめんな」と謝りながら、彼女を抱きしめるしかありませんでした。
 駅に着き、2歳半の娘にキスをして「じゃ、行って来ます」と手を振って駅への階段を昇りました。
途中何度も振り返りそうになりましたが、振り返ると泣けてしまいそうで、つまづきながら早足で改札に向かいました。
 上野駅で立ち食いうどんを食べて腹ごしらえをし、電車を乗り継いで東京地方裁判所に着いたのは1時半頃でした。
 弁護士との待ち合わせ時間ぎりぎりまで、何度も入るのをためらい、裁判所に入った時は2時を過ぎていました。
 ホールで弁護士と落ち合い、エレベーターに乗って第528法廷に入りました。目つきの悪い検事と若い女性検事も入廷し、傍聴席には世田谷警察署で取り調べを受けた、2人の司法警察官の姿も見えました。その他、次の公判の関係者なのかわかりませんが、全く知らない人が5,6人はいたでしょうか。
 2時10分きっかりに裁判官が入廷し、全員起立して一礼をすると、早速裁判官から「それでは判決を言い渡しますので、被告人は前へ」と促され、私は裁判官の前に立ちました。
 「主文、被告人を懲役3月(さんがつ)に処する・・・・・。」
 「被告人は平成14年に免許取消処分となるも、・・・・・したがって、当法廷では被告人を・・・・・とみなし、・・・・・被告人には反省の態度がうかがわれるが・・・・・」
あれれれれれれれれれれれれ、、、、、
 いつまでたってもこの裁判官は、”この裁判確定の日から◎年間、その刑の執行を猶予する”と言わない、言わない、言ってくれない・・・・・。
 わかっていたこととは言え、諦めていたとは言え、私はやはりどこかでかなり大きく期待していたのでした。
 とうとう、「最後に被告人から何か言いたいことはありますか。」と言われてしまい、私はぼーっとしたまま、「ハイ、大変深く反省しております。申し訳ありませんでした。」と、多分言ったと思う。
 「それではこれで終わります。」全員起立して一礼をした後、私はぐったりとイスに座りました。するとすぐさま私の両脇に、体格の良い背広姿の人が二人来て、私に検察官手帳のようなものを見せ、「これから別の部屋に移動しますので、一緒に来てください。」と言われて、私は捕らわれた宇宙人のように二人に挟まれ、入った入口とは反対の、裁判官や書記官が入廷してきたドアから法廷をでました。
 廊下の隅の冷たいイスに座らされ、ベルトや靴ひも、時計や金属類と携帯やハンカチも、持ち物全てを取り上げられ、何かの書類に指印を押した後、また二人に挟まれて、エレベーターに乗り、地下で降りて長い廊下を歩いて、またエレベーターに乗り、迷路のような廊下を歩いて、やっとある部屋にたどり着きました。そこはどうやら検察事務局の一室らしく、20人ほどの検察事務官が忙しそうにはたらいていました。部屋の片隅に鉄格子の檻があり、私はその中のベンチで待つように言われると、鉄の扉に鍵がかけられました。
 中には雑誌や漫画が置いてありましたが、私は到底読む気になれず、腕を組んでずっと俯いていました。
 壁に掛けられた時計は2時40分でした。

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