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2010年12月6日月曜日

保釈の日

 沢山の方に迷惑をかけ、心配していただき支援していただいたお陰で、わたしは4月8日にやっと留置場から出ることができました。
 前日の夕方、弁護士の先生が来てくれたのですが、看守に「弁護士さんと面会です。」と言われたときは、保釈の可能性に対してぬか喜びしないために、かなり期待しないようにしていたこともあり、(きっと保釈が却下されたに違いない)と思いこんでしまい、かなり暗い表情だったらしく、弁護士さんに「顔色悪いですよ、体調悪いんですか?」と聞かれるほどでした。ところがその後、「おめでとうございます。今日保釈決定になりました。」と言われ、数秒間「は?」と目が点のまま動けませんでしたが、5秒ほどでやっと脳が動き出し、「えぇー、ほんとですか!ありがとうございます!!」と大声で言ってしまいました。
 先生の話によると、早めに話を進めたいと裁判官にも事前に話しておいたこともあって、6日に面談が早まり、その場で決定したということでした。保釈金も最低金額の200万で決定し、妻にも既に話してあるので、明日振り込めばその日の内に出られると言うのです。裁判の日程も、最初はゴールデンウィーク明けになるかもしれないと言われていましたが、4月27日(月)に決定し、判決は連休明けになるだろうとのことでした。
 先生の話を、夢なのか現実なのかと、頭がボーっとした状態で聞いていたのですが、この感覚は高校生の頃、初めて女性から愛を告白された時以来のことで、面会が終わって房にもどり、同居人に「どうした、なんだって?」と聞かれて、やっと我に帰った感じでした。
 結局、保釈金の200万もHさんが出してくれることになり、翌日中に釈放になったわけですが、このお金がなければ、私はやはりここを出られなかったのです。
 最初は弁護士さんから聞いた、(社)日本保釈支援協会からの融資を考えていたのですが、手続きを踏む段階で、結局申請時に1割の20万は用意しなければならないことや、手数料が結構かかることもわかり、金がないから申請しているのに、金を用意しなければ申請できないという、かなり矛盾した制度だったのです。
 保釈保証金は、判決後に全額戻っては来ますが、だからと言っていきなり200万からの金を用意できる人など、そうはいないでしょう。そして、これで一度でも外に出られるかどうかによって、この先の人生が変わってしまうこともあるでしょう。そう考えると、いかにも役人が考えるいい加減な制度だとしか言いようがありません。

 保釈金保証制度については、「池上彰の学べるニュース」でも取り上げられたのでご参照ください。
 http://www.hosyaku.gr.jp/index.html

 私にとって、この28日間の留置場生活は寂しく暗く、永遠に続くのではないかと錯覚するほど、永い永い時間でした。交通違反であるとはいえ犯罪者には変わりはなく、自分の不遜によるものであろうが、意図した仕業であろうが、犯罪をおかし人を苦しめ迷惑をかけ、心配をかけたことに変わりはないのです。
 その反省や自戒の心をえぐり取られ、憂鬱な日々を悶々と送るだけの毎日でした。
 今考えると、拘置所や刑務所に入ってしまえば、ある程度諦めがつき、落ち着いていられるのかもしれません。
 生まれて初めて経験した留置場生活は、ある意味とてつもなく大きく深く、人生のエポックとなってしまった28日間でした。
 ただ、これで終わりではなかったのです。
 タイトルの「拘置所生活」の通り、私はこの後裁判を受け、判決を経て拘置所に入りました。
 ここまでが、今回の話のプロローグとなります。

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