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2011年5月22日日曜日

書籍紹介 「東京電力 帝国の暗黒」 恩田 勝亘(おんだかつのぶ)



「東京電力 帝国の暗黒」  恩田 勝亘(おんだかつのぶ)

七つ森書館 定価 1300円+税


大地震直撃-第二刷にあたって

 本当に恐れていた事態がついに現実のものとなった。4年前に東京電力柏崎刈羽原発が見回れた原発震災の再来というより、それをはるかに上回る巨大原発震災だ。
 3月11日午後2時46分頃、東京都内で体感した地震動は、永く緩やかに、更にどんどん強くなってくる。そのとき5,6人で会議中だった私たちは、異常な気配を察知して会議室を一斉に飛び出し、ビル前の路上に避難した。が、揺れは収まる気配もなく、すぐ近くの高層ビルは左右に揺らいでいる。ついに東京に来たか、と思いつつも揺れは左右でタテではない。いわゆる東京直下型ではなく、小田原あたりの相模湾を震源とする南関東地震か、房総半島外側の千葉東方沖地震、あるいは内側の東京湾地震を想像させるものだ。
 大きな揺れがやがて一段落すると路上の人々がいっせいに携帯電話をかけ始めるが、筆者を含めて誰もつながらない。小刻みな揺れが続くなか、近くの誰かが情報を得たらしく、「震源は宮城沖だって」との声。筆者が知りたかったのはまさにそれだ。
 原発取材を始めて35年、地震が起こるたびに震源地と最寄りの原発を頭に浮かべるのが習い性のようになっている。とりわけ1995年の阪神淡路地震の惨状をまず映像で、1~2ヶ月後には現地でそのツメ痕の深さを見て、「地震=原発」は条件反射のようになっていた。週刊誌記者時代、原発とは別に地震の取材をする機会もかなりあったので、日本をとりまく大地震候補地はほぼ頭に入っている。それに記憶している日本全国の原発関連施設を重ね合わせてしまうからだ。震源地とそれら各種施設との距離が離れていれば離れているほどいいのは当然である。
 それでいえば先の柏崎刈羽原発を直撃した中越地方はもとより、以前から注視していたのが宮城県沖、福島浜通り沖、茨城沖という地震多発地帯である。そこには北から東北電力女川原発、東電福島第一、第二原発、そして茨城には日本原子力発電東海第一、第二原発と日本原子力研究開発機構の研究炉や施設が東海村に集まっているからだ。すなわち、東日本の太平洋岸は原子力震災の活火山地帯なのである。
 それが現実となった今、当事者の東電は当然、政府はこれまで何を考えていたのか。わずか4年前に地震と原発の因果関係を柏崎刈羽原発で学習したばかりではなかったのか。今日(3月31日)、この時点で東電福島第一原発は過去の原子力災害最大とされるチェルノブイリ原発事故にかぎりなく近づいている。
 さて、どうしますか?と当事者たちに問いたい。原子力というあらゆる生命体の日常の営みとは異次元のものを持ち込み、「原子力立国」という夢を追い続けてきた歴代内閣と電力資本に代表される政財官学のリーダーにはきちんと回答を出していただきたい。
 こんなときのリーダーとして思い起こすのは、先年に亡くなった旧ソ連陸軍総司令官のワレンチノ・ワレンニコフ将軍(大将)である。1986年4月のチェルノブイリ事故がおきて数日後、当時はアフガン戦争という旧ソ連が仕掛けた、いわばベトナム戦争の最前線で指揮をとっていた将軍だ。それがモスクワに急遽呼び戻され、チェルノブイリ鎮圧を命ぜられた。それはアフガンよりチェルノブイリが優先するという当時のソ連共産党政権の判断以外の何者でもない。
 事故発生後、数日経って現地入りした将軍の目に入ったのは、燃えさかるチェルノブイリ4号炉の惨状だった。そして現実を目の前に呆然と立ちつくす旧ソ連科学アカデミーの原子力専門家たちの姿だ。
 旧ソ連科学アカデミーの原子力専門部門の学者は、ノーベル賞級の頭脳が集められた超エリート集団である。それがまさしく、最近は不都合なときに連発される「想定外」の出来事に手をこまねいているしかない現実だった。
 それは机上でしかもの事を考えない「文(知)」の人たちの限界だ。そこで戦場という修羅の場で臨機応変に対応してきた「武」の人の出番だ。アカデミーの専門家の話も参考にしつつ、ともかく火災を治め、放射能流出を最低限に抑えるべく「石棺」にする指揮をとったのがワレンニコフ将軍だった。
 その措置は今も論議の対象である。将軍はもとより原子力の専門家ではない。それでも彼ら専門家の「知」を参考に事態を収めたのが将軍だった。結果は30キロ圏内は今も立入禁止。浜通りでいえば第一、第二原発のある地元4町(双葉、大熊、富岡、楢葉)すべてと化している。それが日本で再現されかねないいま、誰がどう責任をもつというのか。
 東電内からは事態を収めるために「石棺」しかないという声も出ているという。当然だろう。長期戦化したいまは再臨界という核分裂反応に至るのをどう阻止し、流出、拡散し続ける放射能をいかに最小限に抑え込むか。それにはどんな手段も選ばずあらゆる手を尽くすしかない。日本の不幸はその土壇場、修羅場において、誰が、どう指揮しているのかがわからないことだ。見えてくるのは互いに責任を押しつけ合う「政官財学」の品格のかけらもないエゴイストたちの姿だ。
 かつて実験されたことはもとより、将来も検証されることがないのをいいことに「ジャンボが落ちても大丈夫」と言ってのけ、チェルノブイリ事故が起これば「あれは炉型も違うし、建屋の構造が違う」と言ってきたのは誰か。いま鉄骨むき出しの第一原発の姿をどう説明するのか。彼ら無責任な夢想家たちの罪は重い。筆者は彼ら原発推進してきたリーダーたちをひとくくりに「原発マフィア」と呼んでいるが、とりわけ腹立たしさを覚えたのは「学」の面々だ。原発立地のために各地で開かれる公開ヒアリングで、住民が抱く素朴な疑問や不安に対して「シロウトに何がわかるか」とばかり、専門用語を駆使して煙に巻く御用学者たちの傲慢かつ不遜な態度は許せなかった。

(以下省略)

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